私の現在弾いているヴァイオリンは
イタリアのマルコ・ミノッツィが
私のために製作してくれた楽器
私はエンリコ・オノフリに紹介してもらい
当時使っていた楽器を修理したり調整したり
何度も工房のあるラヴェンナに通いました
そしてその頃すでにアレッサンドロ・タンピエリはメイン楽器として使用していたのですが
私も作ってもらう運びとなり
アレッサンドロの次が私、その次がエンリコ、
と兄弟のような楽器を持っています
日本から一体何度ラヴェンナの工房まで通ったことでしょうか
いつもミラノかローマ経由でボローニャの空港に着き、その日はボローニャに宿泊し翌日朝、電車でラヴェンナまで1時間半位という、今思えばそれなりの長旅
それでも当時は、そこへ行くことが自分にとっては当然の、必然のこと、と感じていたので
全く苦労ではありませんでした
マルコ・ミノッツィさんが来日なさった折、
楽器にたいへん造詣の深い私の大学時代の師匠浦川先生がご覧になりたいとのことで我が家にいらした際の懐かしい写真が出てきました
左の方が廣居剛さん、
現在日本では廣居さんがミノッツィさんの楽器を扱っていらっしゃいます
私は大事な演奏会があるごとに
直前の駒の調整を廣居さんに
可能な限りお願いしています
ほんのわずかな歪みやねじれも見逃さず
作業(施術のようにも思えます!)としては一瞬ですが
その絶妙な調整に
いつも本当に感心させられます
以前モブログにアップしたことがあると思いますが...再掲します
イタリアのマルコ・ミノッツィが
私のために製作してくれた楽器
私はエンリコ・オノフリに紹介してもらい
当時使っていた楽器を修理したり調整したり
何度も工房のあるラヴェンナに通いました
そしてその頃すでにアレッサンドロ・タンピエリはメイン楽器として使用していたのですが
私も作ってもらう運びとなり
アレッサンドロの次が私、その次がエンリコ、
と兄弟のような楽器を持っています
日本から一体何度ラヴェンナの工房まで通ったことでしょうか
いつもミラノかローマ経由でボローニャの空港に着き、その日はボローニャに宿泊し翌日朝、電車でラヴェンナまで1時間半位という、今思えばそれなりの長旅
それでも当時は、そこへ行くことが自分にとっては当然の、必然のこと、と感じていたので
全く苦労ではありませんでした
マルコ・ミノッツィさんが来日なさった折、
楽器にたいへん造詣の深い私の大学時代の師匠浦川先生がご覧になりたいとのことで我が家にいらした際の懐かしい写真が出てきました
左の方が廣居剛さん、
現在日本では廣居さんがミノッツィさんの楽器を扱っていらっしゃいます
私は大事な演奏会があるごとに
直前の駒の調整を廣居さんに
可能な限りお願いしています
ほんのわずかな歪みやねじれも見逃さず
作業(施術のようにも思えます!)としては一瞬ですが
その絶妙な調整に
いつも本当に感心させられます
以前モブログにアップしたことがあると思いますが...再掲します